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山 登りの気持
 他人(ひと)と比べることもなく、人生の秘密に打ち勝った者は誰もが勝者だと思います。  山登りをして日常的な生産活動から離れると、何だか自分を取り戻せたよ うな気がします(これに限らず他の方法もあるでしょう)。そんな気持ちに照らして(実存的な観点から)立ち向かうべき事や雑感を書いてみ ました。素人なので内容は眉唾(笑)。

1.よくある人間関係
2.インナーゲーム
3.自由な人間が歩むであろう道程
4.自我の副作用

 1. よくある人間関係
ハラスメントと自己欺瞞

自己欺瞞の伝播
 山登りは趣味を同じくする人どうしの道楽であるのに対し、 日常に戻ると再び任務が待っています。
 組織において気持ちよく仕事ができるかは適切な目標と各自の自由や人間性が尊重されるかに左右されますが、力関係に よって弱者が要求を呑まされるリスクも結構あります。

 単純に力関係で行われるハラスメントに対し、自己欺瞞というのがあるそうです。 右上の図のように、束縛する側の目的(言えない場合が多い) に適した口実と束縛をセットにして受け手へ伝えます。 受け手は、これに共感できなかったり無理がある場合に嫌だと感じますが、 力関係があるだけに口実がもっともであれば納得しようとむしろ努力、学習し、嫌であるという感情を抑圧します。
 この「口実」は言語的な情報だけなので、その集団内で再利用が簡単にできます。 同僚間でも水平に伝播し、組織の雰囲気として共有されて行く可能性があります。



悪影響
 仕事なら割り切りも可能ですが、口実によって「嫌だ」という感情が抑圧され、 束縛する側もされる側も束縛に気付かない、口実に照らして良かれと思って限界まで束縛を強化する病的な場合があるそうです。
 家庭や社会で後遺症を残すような大量の自己欺瞞やハラスメントを受けた人は、自分のために生きた時間を失い、 自分にとって同一性・連続性のない分断された人生を、意味や価値に統合できなくなり、 むしろ欺瞞による合理化を求めるに至るリスクがあります。
 この場合はエリクソンの発達段階と課題で示した達成すべき課題(人間性の成長)が 阻害 され、境界性や解離性等の障害に陥るリスクがありそうです。こういうのも打ち負かすべき対象だと思います。

対処
 欺瞞の口実が無感情な言語情報であるのに対し、人は束縛された時に違和感・嫌悪感を感じます。 気付くには自分の感情を大切にする事が 大事だと思います。
 狭い島国だからでしょうか、日本では多い現象らしいです。自分のための人生やハートを大切に。 この辺りの話を心砕 かれし者に書きました。

 たとえ弱者の立場でも、自分の事は自分で判断し、結果に責任を持てる大人でなければなりません。欺瞞に気づき理性的に解決しましょう。 被害者意識を持ち続け自分の過ちを正当化するのであれば醜い。



  2.インナーゲーム
 山登りでも仕事でも、プレッシャーや失敗の連想によって否定的な気持ちに引きずられる事があります。 これは一面でリスク回避や準備の効果がありますが、本番では「気になる」ために本来の能力を発揮できなくなる事が多々あります。 このことを頭で理解したとしても、実際には「気にする」を無意識的に行ってしまいます。 特に行動中は反省・フィードバックしている余裕の無い場合が多いので、結局本番で力を発揮できずに終わってしまい、 ネガティブな連鎖を繰り返してしまいます。

 そこで必要のない事に脳を無意識的にでも使わせないために、 う まくいったかどうかの判定をせず、今ここで起こっている事象だけに集中しベストを尽くすように「切り替える」ことだそ うです (反省は後でやれる)。
 批判的な情報処理系が言語的であるのに対し、スポーツ系では力を発揮するために集中すべき点が知覚的である事を利用し、 知覚から得た情報を運動へつなげる処理だけに集中する訓練を行う事が有利(参考:"The Inner Game of Tennis" W. Timothy Gallwey)。 色々なスポーツや仕事でも似たような事ができるそうです。

 なお、失敗した場合の影響(致命的か再挑戦可能か)によっては何にでも適用できる訳ではない(無意識などについては用語解説を参照)。



  3.自由な人間が歩むであろう道程
 本来的な自分を維持できれば、仕事も趣味も、専門性や内容が高度になるほど楽しいものです(それに興じて世のためになっているかは 別)。 個性化の過程では、一時的に他者からは理解され難くなる事もありますが、個性化の階段を更に登ってゆくと、一人一人が全く異なる個性を持つと 同時に、共通 のビジョンへと達します。
 それは個性の内容ではなく鳥瞰できる広さであり、相手を理解し受入れ共感できる能力だと思います。親しみやすく社交的で、責任感と実行 力のある人になりたいものです。そして危機に瀕しても「生命力」(負の側面に対応している最中でも前向きな姿勢を維持でき、必ず何らかの 答えがある という信念)を堅持し、「精神性」(個を超える理念や何かの存在を信じる事)を含めた希望を持ち続けられるようになりたいものです。
 そうすれば障害にばかり目を奪われず、戦略を持ち仲間との信頼や絆を通して自分たちの力を互いに認め合って、希望を分かち合えるので しょう。

 さて、スピリチュァルともいえる優れたHPが目にとまりました。 アルピニスト大久保裕美子さんのHP「か らっぽの魔法」 の中にある論文、「 没入体験の性質とその影響に関する考察」で詳しく考察されています。
 からっぽになるほどの山行を通して、人は変わっていくようです。 それには高い目標を持って努力する事が必要そうです。以下に考察します。
 マ ズローの欲求段階説
欲求段階 
・低次な欲求は満足感が一時的で同じ事の繰り返し。
・社会的欲求満足は相手に依存し相対的。
 周囲に依存しない自我同一性の再構築が課題。
・自己実現は、ある意味で身勝手。
 ほどほどが肝要か。

・この限界を越えるには自己超越がある。
 自我を自分だと思っているから越えられない。
 (自我はヒトの機能のごく一部)
 努力で獲得した物が自分に所属するという思い上がり。
 心の深部には自己を越えた高次な願いがある(愛♪)。

・しかし何より各自が背負っている人生の真実が先決!
 たとえ人間失格しても、そこで真実をすくい取れな
 ければ人間失敗である(真実=こころが封じた秘密
  真実が表向きに語られることは稀である)。

・この辺りを卒業できれば自由になれるのか?
 アメリカの心理学者A.マズローは、 健康で立派な人について調査を行い、欲求段階説を提唱しました。 図上側のように、下位の欲求が概ね満たされると、高次の欲求にも導かれると言うのです。

(1)生理的欲求、(2)安全の欲求
 これら衣食住や安全が満たされ、刺身の次にはフランス料理も良いが、より高次な欲求に移行します。
(3)所属、(4)自尊
 周囲の人と仲間になり、自分を認めてもらいたくもなる。
図では、これらの4段階をまとめて2段階に表示しました。
 (1)~(4)の段階は欠乏を補おうとする、止められない欲求です。 その次に来る高次な欲求が5段階目です。

(5)自己実現欲求
 自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、それらを実現することが問題となります。 ここまでが有名な欲求の5段階です(図では3段階に省略)。

 自己実現には使命感など個人を超えた価値観に拠る場合もあるでしょう (但し自己欺瞞になっていないか要注意)。 私は本来的な自分の欲求を昇華する形で実現するのが基本だと考えています。 どちらにせよ、わ がままな自分を克服する強固な自我を育成する必 要があります。
 一方で、仲間を無視して自己実現に勤しめば、周りの人は批判的になるでしょう。 このような混乱を避けるためか、次の段階をマズローは提唱しています。
(6)自己超越
 マズローは晩年に「自分のエゴを超えて、自分が属するコミュニティーの発展を望む段階」を提唱しました。 この場合、対象は明確に仲間(他者であり自分の範囲を越えている)であり、かつ自分の欲求とも一致するというのです。

 民族・国家・宗教・経済といった壁を越えて「自分が属するコミュニティー(人類や生命)」の輪を世界中に広げたい ものです。でも甘美な空想かもしれません、みんな複雑な歴史・文化・政治・生活・関係性などが懸かっていて、これらも打ち勝つべき課題。
 世界中には、衣食住に困っている人、機能障がい等によるハンディーキャップを持つ人も多く存在し、環境を改善する活動が重要です。 一方で、図の上側にいる人々も、いつ下側になるか保証の無いリスクを背負って生きています。 私たちは、そういった覚悟を持って上側へ進みたいと願います。
(ここでいう自己超越とは「自分の記録に挑戦する」とか「現在の自分を超える」という意味ではない。必要に応じて自我の壁を越 えて他者との境界を超える事。文学にあるATフィールドを越える事とかと同じ)


  もう一方の欲求段階
 さて、図の下側へ伸びるのが、もう一方の欲求段階です。 下側に命の保障はありません、迷い込まないよう注意しましょう。 事故や病気、障がいで早い時期に体験する人もいる。望まなくても誰もが死ぬときに通過する段階であろう事を忘れないでおきましょう。

 一部の人は、こういった体験を通して、自己超越に目覚める場合があるらしい。 それには下地となる人間性が必要であり、生きている間に準備しておきたいものです。 この意味において死は「瞬間」ではなくそれに至る体験であり、意味をもたらす材料となるのは、結局我々が生きている今の業の蓄積です。

 長い夜を泣き、苦しみや屈辱にひれ伏した人、多くを失い希望の無い日々を生きた人、そのような経験をした人は他人の悲しみや苦しみ不安に共感する力を身につけている。この世界の無常を知る人は、生まれて死ぬまでにすべきことを知っている。マスコミ等で表舞台の人やその発言が目立つ中、今ここで自分がどのように在るのか、どのように在りたいのか、何をしたいのか再考する時間は生きている限りまだある。


 別の例として、共に生き残る集団として結束する以外に道が無い極限においては、 「自分」は「我々」へと変化し一体化する場合があるそうです(戦争やサバイバルの成功者談)。このような運命共同体は人間に限らず、進化の中で見れば細胞 から動物にわたり数多く存在しています。 繁栄しているものは個々の個体や遺伝子が少なくとも害を及ぼさず、協調して働いています(利害が不一致だと繁殖できない)。
 その代わり利害関係が無くなれば選択肢が増え一体化の必要もなくなるようです。全ての生命に似たような仕組みが備わっている様なのが興味深い。



 自己超越
 「からっぽの魔法」とは、自己実現傾向を持って、 からっぽになるほど行為や仲間と一体化して目標を達成したとき、 喜びの中に顕れる不思議な力なのでしょう(推察)。 このとき、(1)至高体験による高次な欲求の満足と、 (2)フ ロー体験による自我境界の消失が、同時に起こっているものと考えます。(用 語解説を参照)。

 自己超越と言うと、仙人みたいに聞こえますが、自我を消すことではありません、 自我の対象範囲を自分を越えて広げることです。 自分を愛するのと同じように、愛する対象の範囲を周囲に拡張できる事だと考えられます。 神経症を克服した宮沢賢治の、チャウド「デクノボウ」ノヤウナ人、なのかもしれません。
 デクノボウの様な人は、自分の限界を超えるような危機(喪失体験極限体験など下 側の段階)を経験している場合が多い。 我を守る壁を放棄せざるを得ないような厳しい体験は、小さなエゴを飛び越し、敵をも愛せる人格に導くのかもしれません。 バカは死ななきゃ治らないと言いますが、こういう人は極限体験で一度バカを棄てているのです。偉大ですね。


 上側の段階を経て、 健康的に自己超越へ向かうためには、年齢に応じた課題を達成しておく事が大切です。
 下の表にE.H.エリクソンの提唱した発達段階と課題およびリスクを示します(上から順に段階が進む)。 人間として大切に育てられなければ正常な発達が阻害されるそうです。

 最近、成人なのに生殖(仕事や結婚)に興味を持たない人が増えているように感じます。 社会情勢の影響もある様ですが負けないでほしい。
 2次元、携帯情報端末も良いが毒されて自我が弱体化していないか?

 老年期には、自我が若い気のまま体のエネルギーは低下してゆき、 このバランスの変化が再び自我同一性の変更を必要と します
 個人としては十分生きた満足があり死を肯定的に受け入れられるか。自己超越の観点からは次世代への継承や、子供がいなくて もコミュニティーと十分関わったかなど色々な満足感が考えられます。
 元気なうちに満足のいく生き方を今しておかないと、老人になってからでは取り返しが殆どつかないという事の重大性を忘れてはい けませ ん。
E.H.エリクソン提唱の発達段階と課題
発達段階
解説
課題
リスク
乳児期
母親と授乳を通して、 人間や世界を理由なしに信頼できるようになる。
信頼
不信
不安
児童前期
排泄をコントロールできるようになる。
自律

遊戯期
世界に対して影響を与えられるようにな る。
幼児性欲の抑圧成功。
積極性
罪悪感
学齢期
学校等で勤勉さを身に着け、 有能感、自尊心、社会性を得る。
勤勉さ
劣等感
青年期
性欲の発達、社会との葛藤 により、 自我同一性(アイデンティティー)が必要となる。 同一性獲得までの間を心理・社会的モラトリアムと呼ぶ。
同一性
同一性
混乱
前成人期
異性に対する親密な (友情を超えた)相互関係の樹立。 以後の発達・人間関係に大きな影響を及ぼす。
親密さ
孤立
成人期
結婚と子育てだけでなく、 広く次世代の育成や、生産活動、社会参画に活躍する (自分のことにしか興味が持てず、人格が停滞する危機が伴う)。
生殖
自己没頭
老年期
子育てや生産活動などの 生物的生殖活動の役割を終え、次第に自分の人生や結果を受け入れて肯定的に統合し、円熟・平安に至る段階 (自己超越とは別の話で、課題でもない)。 統合
後悔
嫌悪
絶望
↑読めば読むほど怖いですね。
・課題の達成度に依らず表の段階(年齢)は進んでしまう。 失敗はあっても良く、他の方法で挽回できるが、達成度は高いほうが好ましい。
・全く躓かない人や一生健常者で通せる人は稀だろうが、工夫することで課題の達成はできる。 むしろ陰の面に苦しんだ人のほうが、努力の分だけ人間的な真実を深く理解する機会がある。
・トラウマ的な傷が本人の発達を妨げるだけでなく、世代間継承を引き起こす場合がある。 傷に気づく事が、解放への第一歩である。自己欺瞞も同様。この辺りが打ち勝つべきところです。
愛 媛大の中村雅彦教授によると、 自己超越傾向は「平均的に」、年齢が高いほど、男性より女性のほうが、 文系より理系の方が大きいという統計があるそうです。 また自己超越傾向と心理的幸福感には相関があり、 死に対する受容傾向とも相関があるそうです。

・自分の特徴は、たとえ欠点だと思っていても、別の見方をすれば誰も真似のできない特長になり得ます。 自分を変えることが困難であっても、特徴を特長にして自己イメージを好ましい方向に修正することで自分を変えられる場合もある。

 自己超越の多様性

自己超越の多様性  山登りの場合は、 フロー体験の快感と、それを共にした人間関係、自己実現の喜びを背後に自己超越へつながって行くものと予想できます。 集団でリスクを共にする点では極限との共通点もあり、 冒頭に述べた2方向の欲求段階も、細かく見れば色々あると思います。

 図は今まで述べた事柄を関係付けて描いたもので、自己超越へ至る色々なルートを描いています。 原動力は生命のエネルギー、そして互いの喜びや苦しみを分かち合える知性(前提として発達の各段階を、ある程度達成している こと)、集団の場合は同じ場を共有した運命が導くのだと思います。


 
脳
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 鉄腕アトムのような人間を理解するAIとなるには(人間に信頼されるためには)、学習だけでは無理で、人間と類似のメ カニズム及び人間らしく育てられる体験が必要だろうと推察します。例えばもし苦しみや恐れを持たないAIであれば病気の人間 を記号的にしか認識できないだろうという事です。深層学習法によって定義が困難な特徴を学習できるようになり、AIが「この人は何か病気なのだろう」と察知できるようにな ると思いますが、「AIが相手を自分のことのように扱える」「このAIは人間と同じだ」と人から思ってもらえるにはまだ壁があるそうです。
 つまり客観的な意味:体系(システム)内の関係性だけでなく、主観的な意味:自己の生命に関わるような実存的意味が重 要なんじゃないかだという事です。
 加えて上記エリクソン提唱の発達段階が発現するAIの構造を考えてほしいです(その結果、人間モドキの意識体ができて しまうかもしれませんが、人格として扱うべきか法律など整備が必要)。

 私たちの脳はもっと凄くて、内分泌や生命活動を司どったり感情や学習どころではありません。1950年代に脳外科医ペ ンフィールド博士が行った実験では、 側頭葉シルビウス裂に臨死体験をほぼ再現できる場所があるそうです。
 脳科学の発達で、ずいぶん色々な事がわかってきているようですが、 ペンフィールド博士が晩年「脳だけでは説明ができない」と語ったように、単純ではなさそうです。 登山家R.Messner氏や松田宏也氏らの体験をマトモに扱う人が出て来てほしい(似非科学が多いので困る)。
 
 側頭葉の奥には、皮質でありながら、内側に畳み込まれて外からは見えない、島という部分があります。 図の左手に半透明で示してあります(図は右脳表面の皮質を除き、内側を見せています)。 島は、皮質の中でも古くから発生しており、更に内側に接する大脳辺縁系との情報連絡が多い。
 色づけした部位は大脳辺縁系にある諸器官で、 例えば赤い扁桃体は、新皮質が「考える」より先に、好き嫌いを過去の記憶から決定します。 危険に対するとっさの動作、一目ぼれ、気が合わないなど、辺縁系の影響が大きそうです。
 脊髄の先端に近い部分は中脳から脳幹で、自律神経など、生命維持、内分泌を担っています。脳幹部に意識と恐怖が切り離 せない形で存在しています。意識は危機的状況に対処するために発生したと推察します。
 なお「不安」は大脳皮質が考えて辺縁系が感じるもので「恐怖」とは別である。

 前頭前野の大きさが発達するに必要な時間が、ヒト、チンパンジー、アカゲザルの順に長いことから、ヒトは後天的要素 (文明)の影響を強く受けて育つそうです。「本来的な自分らしさ」がどこから来るのか、これは先天的要素と、現在から胎 内にいた頃までの歴史に依存します。

 中枢神経の信号伝達は化学反応に依っています(ホルモンより速いが、電気の速さではない)。 アルコール、カフェイン、ニコチンその他の物質から影響を受け、耐性や習慣性もつきます。 無くても済む脳にした方が良いとお勧めします。依存症は本当にヤバイです。
 脳内物質(神経伝達物質など)も枯渇しないよう、栄養と睡眠、適度な運動が必要ですから、 鍛えるほど頭がよくなるというのは限度があります。 お酒や運動と同じく、過労については自分の限界を知っておいたほうが良い。

 4. 自我の副作用 (下側の段階は多かれ少なかれ誰でも体験しているはず) 私たちは自我という高度な機能によって文明を発展させ多様な活動を行っていますが、
山登りに限らず、その行為を突き詰めて考えてみると、 大して意味のない場合があります。
逆説的に、無意味だからこそ意味や価値を離れて、自分や行為の本質に触れられる機会があります。(注)
自我の副作用を覚えておくだけで無駄を省けます。

その行為から得られるものは種々あるでしょう、
しかし期待する結果が得られないと仮定した場合、 その行為を本当に捨ててしまえるでしょうか?
そう自問してみて、
その行為には何かいいことがあるから付き合っている、といった程度のものなのか、
それとも、結果によらず行為自体を愛していると言えるのか、

無意味を理解している限り、僕らは自由なのです(自我の副作用から)

注1:価値観が破壊された時、今まで行ってきた事にいったい何の意味があったのかと立ち止まる事がある。
   これは無駄な時間ではなく無意味への気付きであり、走り続ける勇気も、立ち去る自由をも与えてくれる。
   自由に勝ち負けはない。呪縛こそが敗北である。
注2:「行為」を、人生、隣人、世界などの対象に置き換えて、読み直してほしい。
   その中で、本当に大事なことを大切にしたいと思う。僕たちに与えられた時間は有限なのだから。
   どうでも良い事が多すぎないか!(但し、自分や世界を無意味と感じるのは病気だろう)。
注3:自我の副作用は自己中心性、高慢、思い込み・ねばならない思考、不安や苦悩など数限りない。しかし人間には自我が必要である。
   用語解説 に自我の成り立ちを示します。うまく自我を乗りこなし、高次な願いを叶えることが要点。
注4:世界に意味が無い訳でもなく、全てを仮象とし仮象に生きる訳でもない、虚無から自由なのです。


心砕かれし者(これも典型的なパターンとして覚えておくと手間が省ける)
 人間であるために生ずる苦悩は、人間関係によるものが多いようです。ヒトが社会的な動物の最たるものだからでしょうか。
 特に弱い立場に立たされている人にとって重要なことは、 人間社会における「所属と自尊」に根ざした自己の評価が、浮き草のように相手次第で変化する頼りない価値観だという事です。 これも自我が生み出した幻(自我の副作用)に過ぎません。

 心砕かれし者とは、このような幻の価値観を捨てた者という意味を持ちます。 それにはプライドはもちろん自分という存在の相対性を認め、同時に自我境界への固執を捨てる事が含まれるでしょう。 一言で「自我の完全な降伏」とも表現できるでしょう(自我の限界を知り執着から自由になる)。

 もし孤独を悟る事ができれば、自立した個として自由になれる。 それは中途半端な依存関係との決別であり、例えば世の人全てに見捨てられ、 孤独や無力を思い知らされる様な体験も、関わりにおける自由になり得るのです。

 強い立場にある人は考えもしないで済むでしょう。


 ここで言う罪とは、心の罪や背負っている人生の秘密、理性で抗えない部分を指します。私などは百八ッの煩悩に苛まれるどころか、罪 を罪とも思っていない毎日です。 冒頭にあるハラスメントが原因の境界性や解離性障害を一例にして考えてみます。

 犠牲者が気づかなかった心の傷を意識化できたとき、最初に感じることは「自分は犠牲者だ」という気持ちでしょう。 そして傷を与えた人々や自分の運命に対し、傷を受けたときから密かに憎み呪ってきたことでしょう。
 しかし呪いの感情は「明らかになってはならない心の秘密」なので抑圧され、普段は意識されないでいます。快方のためには抑圧の解放 (感情的なカタルシスを伴う)に成功する必要があるそうです。
 その次に、憎しみや呪いの感情を、被害者意識によって正当化したり、 あたりまえのように感じてしまっているという、もう一つの面に気づく事が次の重要なステップでしょう。
 そして自分の犯してきた罪、正当化してきた事をも罪として認め許しを乞うならば、 そのとき心は砕かれ、今まで苦しんできた頑なな自分は氷解することでしょう。 これも心砕かれし者のありようです(自我境界の変容)。

 罪を犯さずに赦される事はありません。私たちは罪人だからこそ赦してもらう体験ができるとも言われます。人間が認識できる価値観だ けでなく全ての因果と業(ごう)の蓄積が、 その人の手に入れたものや背負っているものになる。 都合の悪いものだけ自分のせいではないと思う頑な態度を超えられれば、 私たちは大きな存在になって行けると思います。

 何ら人生の秘密、業のない人生に、どんな意味があるでしょうか。 業を背負って生きるから意味がある。 私はこれを業の肯定と考えています(これができれば他人の業も肯定できるハズ)。

 輝かしい道を歩むもよし、下側の段階を垣間見るもよし、何が幸いとなるか我々には予測できません。言えることは、人生に無意味な時 間など無く、何でも自分の宝物にできるという事です。 これを踏まえて次の名言をどうぞ。


名言要約
スティーブン・ジョブズ氏(Steven Paul Jobs、Apple社)
・ドグマ(教義、常識、既存の理論)など他人の意見があなたの内面の声をかき消したりすることのないよう、自分の心と直感を信じる勇 気を持とう。 それ(内面の声)は、あなたが本当になりたいものを既に知っている。
・死は失うことだという既成概念に騙されるな。死がそう遠い事ではないと悟れば、他者からの期待や挫折、屈辱への不安など、ほとんど 全て の事から自由になれる。 我々はとっくに裸なのだ、ならばハートに従わない理由などない。
(死を悟ることができれば、各欲求段階の各論を全部飛び越せてしまいます。すごいですね)

ゲーテ(J.W Goethe)
・自分にできること、夢に思い描いていることを実行に移そう。大胆であれば、非凡な能力と不思議な力を発揮できる。
・人が旅するのは目的地に到着するためではなく、旅をするためである。
(旅=体験の事ですね)

名言集でないので、この辺にしておきましょう。
 ヒトという生き物はこのようにできており、人生やヒト社会を軽んじていると、大きなしっぺ返しを受けることになる。
 長い人生の中では誰でも不条理で大きな痛みを受ける時がある。 それは覚悟の問題で、痛くても苦しみではなく、自分の中の宝物に変えられるもの。 失う事もあるけれども、失う事も含めて全部が与えられたもの。
 生き物は、時の止まった作品ではありません、未完成のままでいい、 二度と戻らない日々を胸に刻んで行きましょう。



最近の製作2  →2002 年頃の製作へ

換気扇
FAN このころ長屋に住んでいました。 安ぶしんなので、部屋の仕切りに隙間があり、強烈なタバコの煙が隣から侵入して来ます。 洗濯物が臭くなるどころか、喉がヒリヒリするため、健康に影響すると考え、真冬なのに窓を全開で寝ていました(ここが空き部 屋になっていた理由だろう)。 しかし寒さと騒音で寝づらく、外出中は窓を閉めるので、帰ったら臭いがこもってしまいます。
 隣人が相当なヘビースモーカーでタバコを減らせないだろうと自衛に回りました。換気扇を考えましたが、換気すればする ほど 寒くて音もうるさいハズ(窓を開けたのと変わりない)。

 そこで逆転の発想。入ってくる煙を換気するのではではなく「こちらの空気を相手側へ押し出す事」を考えました。
 そのためには、部屋にある大きな穴(通風孔)を塞ぎ、流量の少ないFANで良いから、きれいな空気を部屋に取り込めば よい のです。
 写真は古い外付けハードディスクの電源にPC用の静音FANを取り付けたものです(回転数可変式、外側に網を付け た)。 見事、これで煙が入らず、快適な部屋になりました。(山とは関係ないですが、より自然な空気のために・・・
覆面
mask 春山で黒こげにならないよう、 覆面をしていますが、今回リニューアルしました。 山用品屋さんで買ったものを改造。鼻と口の穴を開けてかがり縫いし、耳に掛けられるよう折り目を縫い付けました。
 制作上のポイントは、耳の日焼けまで防ぎ、息がサングラスなどに上がってこない事。 更に鼻からずり落ちないよう、鼻上部に横糸を入れて伸縮を減らしまし た。
 似た仕様の製品が販売されていますが、高価。今回のやりかたは自分の顔の形にフィットするよう作れるのが利点です。

 やっぱり異様な風体になるので、会った人が一瞬ギョッとします。
GPS ホルダ
holder みなさん雪山に限らずホワイトアウトの恐ろしさは経験 され ていますよ ね。
 使う機会が無ければただの箱。 なかなか良いアタッチメントが販売されておらず、マジックテープなどで、皆さん工夫しておられるようです。 ポケットでは電波が入りにくいし、ザックの雨蓋では出しにくいので、今回製作しました。

 そこでザックの肩に結び付けられるようにしてみました。 ザックの肩はGPSのアンテナを空に向けやすく、アクセスもしやすい位置です。
 靴下を縫い付けて作りました。 ひもも縫い付け、横で結べるようにしています(裏では結びにくく、結び目が肩に当たる)。  
LED ライト (2008年購入)
 年々白色LEDの発光効率が上がり、 ついに蛍光灯の効率を越えてしまいました(赤と緑の蛍光を黄色にして演色性を落として効率を高めた)。もうフィラメント式は 使えないですね。 衝動買いしてしまい、下記2点を独自に評価しましたので報告します。
項目
Panasonic
Petzl
メーカー、品名
型式
Panasonic GEOLUX (3W LED)
BF-280
Petzl Myo XP (3W LED化で照度2倍)
E83P
明るい設定
280mA (3W球 Hi) [6.8h] 2000lx 600mA (BOOST時) [3.2h] 150lumens
 [  ]内は
100mA (3W球 Low) [19h] 240mA (Hi) [8h]
 電池寿命 75mA (0.5W球 Hi) [25h] 130mA (Mid) [14h]
長持ち設定
25mA (0.5W球 Low) [76h] 50mA (Low) [38h]
電源OFF
1μA (30℃)
1μA (30℃)
質量
250g (含電池)
175g (含電池)
ビーム形状
狭い(3W球)、周辺ほど弱い
中央+広域は一様
その他
丸洗い可能なIPX7防水規格
3W連続に耐える放熱器
堅牢な構造
電池残量表示
広角化レンズ
トップストラップ付属(Panasonicと同等)

明るさと消費電流(比較が困難)
 表の同じ行で比べると、Petzlの方が明るいが電流も2倍程度多い。 かといって上の行のPanasonicよりは暗い。しかしPetzlは照射角度が広い利点がある。
 Panasonicは二灯で3W球の明るさがすばらしく、Lowでわずか100mA(深見球は300mA)、 しかし0.5W球の発光効率がPetzlより悪い様に思える(しかし演色性が良い)。一方、堅牢なので重い。 Petzlの軽さは評価できるが電気を食う。
 (仕様が照度と光束など比較困難で、使ってみないとわからない。消費者としては困惑する。)

実際に山で使って比較しました。
 山の場合、無駄に明るくても目の感度が下がるだけなので、必要なときに遠くが見えるかがポイントです。
・Petzlの広域一様照射は視野が広い利点がありますが、周辺(特に足元)がシャープにカットされており、 中央ビームを遠くに向けると足元が全く見えません。 それで下向きにしますが、こんどは中央ビームがまぶしくなります。 広角用レンズを使うと近くは非常に快適になりますが、遠くまで光が届かなくなります。 光のカットはランプから目に直接光が入らないためと思われますが、今一。
・Panasonicは3W球の細いビームで遠くがよく見えます。 足元については暗く、やはりPetzlと同じ問題があります。 しかし足元の周辺カットが無いので、弱いけれども10°ほどPetzlより足元が広く照明され、目をそらせば細い中央ビーム の影響が少ない。

【結論】
・明るい設定を良く使うならPanasonic、3W球はLowでも非常に明るく、遠くも足元も切り替え無しでそこそこ 見え る。 厳しい山行でいちいち遠近操作をしたくない場合や、照度と持久力を切り替えて使うのに適している。
・少し暗くても長く使う事が多いならPetzl。軽さならPetzl。
・テントなど長時間Lowで使うならPanasonic 0.5W球Hiと同程度の明るさながら、電池寿命と演色性が有利。

電池寿命について
 測定した電流と電池寿命(計算値)は1900mAhのNi-H電池(三洋eneloop)によります。 寿命は計算値ですが、電圧が落ちて暗くなり始めるまでの時間をサンプルで実験した結果によく一致します。
 その後、ライトはサバイバルモードとなり、暗くして電池寿命を延ばすようにできています。 メーカーの表示している長い電池寿命はアルカリ電池が使えなくなるまでの時間で、暗くて歩行には向きません。 私の場合は充電式電池の実績値である上の表を採用します。


LEDライト3W 球の威力
 写真上はpetzl社 TikkaXPのHiモードで消費電力0.5W(実測値)、eneloop単4×3本で6時間弱点灯(今まではこれを使って いました)。
 写真下はJEFCOM社PLL-2で、消費電力1.2W(実測)、 eneloop単3×2で4時間弱点灯(3WのLEDらしいが、昇圧するのでインバータ効率悪く、実質1Wの明るさ)。 こちらは自転車に使っています。ハンドルバーに取り付ける金具を「製作」した。
 3W球は明るいだけでなく、効率も良いようです。

・今後は蛍光灯をLEDに置き換え、二酸化炭素排出量の削減に期待されますが、低価格化がポイントです。


ライトの切実な実態とノウハウ
 テントでは朝夕の食事などにランプを必ず使うので、ランプを使っての行動時間を確保するために、点灯時間は切実です。 日帰りの予定でも、何かあった場合は、いきなり何時間も使うことになりますので、常に携帯する必要があります。
 一度使った電池は残量不明なら予備電池も持参となるので、私は三洋eneloopをフル充電して使っています。
デ ジカメの修理
カメラ修理
隙間に侵入した水を、
いかに除去するかが課題です。
 暑かったので沢の釜で泳いだのですが、 気がつくとデジカメをポケットに入れていました。大ショック。 もう電源スイッチも入らず、レンズ内に水滴が見えます。
 こうならないよう、いちいちザックの袋に入れるよう心がけているのですが、 当分はゴーロー歩きだと思ってポケットに入れていたのが敗因。

 電気製品が水に弱いのは、水が電気を通すためです。 ならば乾かせばよい訳ですが、それだけではなく、電気分解が起こり、部品などが化学反応を起こして元に戻らなくなるのです。

 現地では、すぐに電池を取り外し、 電 気分解を停止させました。
 自宅に帰って、カメラを分解しましたが、レンズ部は困難でした。 そのまま乾かすと動作しても水に含まれる不純物で、乾燥後の化学反応が進みやすいので、 掃除機で水を吸い取りました。 表面だけでなく基板の向こう側からも風を通すよう指で漏れをふさぐなどしました(これがもし海水だったら、水で洗う必要 があ るが、絶望的)。
 ヘアドライヤーで暖めたり、掃除機で吸ったりしたところ、電源が入るようになりました、しかしCCDの画像が真っ暗。 そのうちCCDが復活し、曇った画像が見える。レンズ部を集中的に掃除機で風を通すと曇りが晴れた。 しかし液晶のバックライトは電極フィルムと発光素材の隙間に水が浸入して一晩経っても乾かずマダラ。更にフィルムをはがして 乾燥を進め、何とか動作するよ うにはなりました。
フ ライパンの コーティング
フライパンのコーティング
1.炭素コーティング加工を施した
 アルミのフライパン(汚ならしい)。
 薄い砂糖溶液を薄く塗り重ねれば、
 凹凸はないが茶色の強い膜となる。

フライパン
2.重合オイルコーティングを施した
 同じアルミのフライパン
健康な人であれば、食事から摂取する金属の量では
体外に排泄されて神経毒性にまで至らないというが
アルマイトのはがれた鍋で酢豚やトマト煮をすると
通常の食品以上にアルミが溶け出しキモチワルい。
アルミと食品が接触しないだけでも気分が良い。


【茄子炒め】少ない油でも、紫色に
ナスの色素は水に溶け出て、熱に弱い。
少ない油でさっと表面を炒めて安定化させ、
あとは蒸らすか電子レンジで内部を調理する。
鉄のフライパンだと色素がキレートを作り
安定化する期待あり(例:ナスの漬物に釘)。
 焦げ付きにくいコーティングには、くっつきにくい素材 の フッ 素樹脂加工があります が、 寿命が短く(1~3年)、劣化したらフライパンごと買い替えになるのがエコロジーに反します。
 そこで最近、卵焼き用に妻がセラミックコーティ ングを 試しました。 微細な多孔質セラミックに油が浸み込む方式で、焦げ付かない。すばらしい性能。 しかし、こするとセラミックなのに剥がれ落ち、これも寿命を持たせるのに気を使います。

 考えてみれば、お好み焼き屋の鉄板は、なぜ焦げ付きにくいのか? それは長年たまって炭の様になった「おこげ」が油を保ち、 酸化してヌルヌルになった油が表面でくっつき防止になっているのでは?

1.炭素コーティング(細かい凹凸 が油 を保持する)
 今回は、油分を良く落としたフライパンに濃い砂糖水を塗って炭化させる方法でうまくいきました。
 写真は、厚手のアルミが非常に良いのですが、一部おこげの炭化物で黒くなっていました。 アルミが見えている部分に濃い砂糖水を塗ってフライパンを高温にし、炭化させます。 最初はカラメルができますが、そのうち煙が出て黒くなります。煙が消えたら冷やしてタワシで無駄な炭素を洗い流します。 (加熱しすぎると炭がカサカサになり、はがれて地金が出てしまいます。)
 地金が出たり、炭素皮膜が滑らかすぎたら、何度でも、必要な部位に砂糖水を塗って皮膜を追加できます。
 ■欠点:最初は高性能でしたが、洗っているうちにつるつるになって、油を保つ力が衰え、一ヶ月の寿命(膜は残る)。 だが何度でも膜を追加できる。

2.重合オイルコーティング
 古い汚れを高温で炭化させて落ちやすくし、ヘラと金属タワシで磨きます。 古いのでアルマイトがはがれ、アルミの地金が白く見えていました。
 布に食用油を軽く含ませ、熱したフライパンに薄く塗ります。 白煙が出る程度の温度で熱し続けると煙が出なくなります(炭化するほど高温にしないこと)。 これを何度も繰り返すと、重合した油の皮膜が形成されます。写真のようにアルマイトと似た色まで重ねて終わりです。 煙が消えていれば、皮膜は硬くて臭いもなく洗剤で洗っても落ちません。(一度に厚くするとムラと煙がひどい)
 これに、下記ヌルヌルの重合皮膜を追加すると無敵。
 ■欠点:膜が弱く、1~2週間の寿命。

3.結論
(1)アルミのアルマイトの剥がれた場合、アルミ地肌保護には、 1の炭素コーティングが有利。または薄く作った茶色の1+2の重合皮膜 (金属ヘラ等で削れるが、1,2を多層に重ねると強くなる)。
(2)焦げ付き防止には、鉄の場合と同じで、下記ヌルヌル皮膜を追加する。

【鉄製フライパンの手入れ】 何度 も回 復できる!
 通常の手入れでは不十分な場合に限り、汚れが炭になるほど熱した後、クレンザーや金属たわし、 金属ヘラでこびりついた汚れを落とし、銀色の地金を出します。
 よく洗ったら、高温で鉄が黒サビになって、青や黒に変色するまで加熱します。 これは赤サビ防止のためです。焦げ付き防止にはなりません。

 荒熱をとって、油になじませます。新鮮な油の膜ですと、焦げ付き防止にならないので、 実際は酸化したヌルヌルの重合皮膜を 形成すべく、プロは「油返し」をします。 家庭では、紙などに含ませた油を薄く塗布し、煙が出る直前まで熱して油を重合させ、すぐに濡れ布巾で温度を下げた後、必要量 の新鮮な油を追加して調理する。
 このヌルヌル皮膜は洗剤で落ちてしまうので、使用後はタワシで軽く水洗いする。つけなおす頻度は毎日程度。 (酸 化された油は体に悪いので注意。やはりテフロン製は油の酸化不要で便利、ゴキブリのエサにもならないし)