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  その他7 低山の危険 お 迎え現象 HDR html5 外 から見た日本

低山の危険性

 コックちゃんは関東平野部から中国地方の中山間 地へ移り住み、標高1,200m~1,700m弱の豪雪地帯およびマイナーな低い山を見てきました。日本の有名な高山や、登山人口の多い神奈 川県の丹沢と比較して、低い田舎の山の怖さを実感したので報告します。

1.こちらの国立公園や国定公園
 良く整備されており安心して楽しめます。中四国、関西、九州や韓国からの登山者でにぎわいます。伯耆大山が有名ですが、地震の後から崩壊が 加速し、山がザレ化していて脆くなり、一般道を歩く以外の場合は攀じ登ることが困難となって通行禁止になっています、支点もほとんどありませ ん。ザレばかりでガレ・ガラ場なぞ見当たりません、槍穂の大きな岩が懐かしい。
 道を外れると他の公園のようにヤバイ事になるのには変わりありません。山麓に近づくと作業道や作業用の目印などがあって迷わないよう注意が いることに変わりありません。

2.こちらの豪雪地帯(写真は毛無山縦走路)
毛無山 (1)標高にかかわらず斜面に雪がたまると雪崩は起こります。
(2)真冬を外れると標高が低いために湿った雪はくっついたり濡れて厄介です。重く身動き取りにくいです。パウダースノーを楽しめる期間は 1,2月だけと少ないです。
(3)雪が緩むと特に笹の上の雪が滑ります。これは高山へのアプローチでよく経験する事です。笹の上の雪は登山靴よりスノーシューでの方が急 斜面まで登れてしまいますので、スノーシューで滑り始めた場合の損害は大きいです。ストックでは制動できません。この特性を覚えて地形によく 注意して行動する必要があります。
【具体例】 下り斜度39°地点でスノーシューが笹の上を滑べった。10m単位で急な場所が増え、かなり慎重に回避していましたが、やられました。拡 大した地図をよく読めばわかるはずです(最近は電子地図なので等高線から斜度を出すのが難しい、なので国土地理院の傾斜図が大変参考にな る)。

3.かつて登られていたが寂れた山
 登山ブーム・高度成長の後、それでも好き者はいる様で(獣も利用している場合があるようだが)薮が茂って登山道が上から見えないような「踏み跡」 も良くある。よく使われるルートが良好で も、別ルートで帰ろうとして迷いそうになる場合が多く、早めに見切って引き返すのが吉(迷い道を作らないことにもなる)。最近は自治体の資金が不足な のか登山がマイナーとみなされているのか、整備されていない放置状態のルートがよくある。なのに標識が残っていたりで初見では怖い。
 特に日当たりの良い薮は物凄い勢いなので、薮漕ぎとなると鹿に食べられている丹沢の比ではない。背丈を超える雑木の混じった薮、同様に高く て 太い笹薮(特にチシマザサ(ネマガリタケ))は檻の様であり、分け入ることすら大変困難。

4.危険生物
 こちらでは自宅周辺にもマムシが出る。近くに熊、猪も出没していて、蜂も怖いので登山開始時点から要注意。
 時代のせいであろうか、里山でヒトの活動が減少したので鳥獣害が増えてきている。猟友会も若者が減って協力にも限度がある状況。

5.クライミング
 崖はたくさんありますが、どこ崖崩れに近いものが多く危険です。岩がしっかりしていてもいきなり5.11以上だったり初級者から楽しめると ころは非常に少なく人口壁も選択肢。渓流登りは危険生物が怖く、巻き道が形成されていないのでやる気がしなくなった。

6.登山人口
 有名どころ以外は少ないです。そのため何かあった場合に助け合えない。過酷な条件です。


お迎え現象

  父が亡くなった時の話をします。 その前に踏まえておくべき点は次のようなものです。
(1)心理学者C.G.Yungは「神秘体験があるからといって神秘現象の 存在証明にはならない」と言った。
(2)多くの民族に亘って多くの共通的な「元型」という心的存在のパターンがあるのでYung は「集合的無意識」 を提唱した経緯がある。
(3)神秘体験の内容や夢に出てくる何らかの存在(元型であることが多い)は民族や文化の影響を受け、根源が共通的であっても表象として私たちが 認知する仕方は文化や個人によって異なる。
尚、上記は神秘現象の存在を証明できないだけで否定する力もありません、存在を信じるのは自由ですが科学的な手 続きには大変な努力が必要だということです。

 兄妹で病院へお見舞いに行ったとき、父は何とかトイレへ自分で立って移動でき、土地の所有権や取引の経緯を答えられる明晰な意識を持っていまし た。ところがベッドに戻った父は 「おまえたちの横にもう一人いるのは誰なのか」と指さしながら問うのです。見回して誰もいません、我々は6人部屋のベッドを囲うカーテンの間から看護師さ んが出入りすることがあるので、それは看護師さんだろうと考え、そう答えました。
 その後、また同じ質問を父が妹にしたのは臨終の約1週間前でした。その時父は一人部屋に移されており面会中に看護師さんの出入りはありませんで したから妹は不思議がって私に報告してきたのです。 そして私が以前も同じ質問があったと示すと同時に、我々兄妹はふしぎな符合に驚いたのです。父にとってその「もう一人」の姿ははっきり見えず、居ることだけ を感じているようでした。 私は、この手の現象は意識レベルが低くなった状態で幻覚を見るのだろうと思っていましたが、意外にも体力が残っていて明晰な時からお迎え現象はあるということです。

 看取る家族の半数近くがこのような経験をしているらしく、「お迎え現象」と呼ばれているようです。人によってその「もう一人」は具体的な人物 だったりするそうです。「現象」というのは亡くなってゆく人がその様な事を語ると言うという客観的事実であるからそのように呼ばれる訳ですが、亡くなる本人にとっ ては体験を語っているので、本質的には「体験」であろうと考えます。これが近年に限らない、ヒトは過去現在未来にわたってお迎えの体験をするのだと考えると、昔からそのもう一人を地域によっては「死神」と読んだり「導き手」と考えたりするのでしょう。そして臨死体験者の話などから霊魂やあの世の存在を語り継いできたのでしょう。

 しかしながらこれらは全て「体験」なので科学的な手続きを進めるには非常な困難があります。なのでここに意味を見出すとすれば、これらの体験のもたらす意義について考える事だと思います。
 このような体験によって、一部の人は目に見える世界が全てではないことを信じるようになるでしょう。そして死はすべての終わりではなくマラソンのゴールのようなもので、その後も精神活動は続くような明るい生死観を持つでしょう。でも玩具のゲームみたいに早く死んでやり直そう、早く楽になろうと考えるのは浅はかだと思います、このような考えは「なぜ世界がそうなっているのか」という必要性や目的性を考慮していないからです。多くの宗教の考え方によると、現世とは魂が修行する場であったり、現世を改善し世の人のために働く場と捉えていますから、修行や働きもせずに死ぬのは残念な結果となる可能性が高いです。(尚、あまりに残酷な運命、短命その他特殊なケースの考察も必要となりますが、かなりの上級者向けだろうと推察します)

 もう一つ「なぜ明らかにできないのか」にも私は意義を見出します。その答えは単純で「私のような凡夫にとって、もし未来が明確にわかっていたら本気で生きようとしないから」です(笑)

 
HDR
 益々普及してきているHDR、プロは当たり前に使っているHDR; 写真のダイナミックレンジを広げて暗いところから明るいところまでを表現す るHDR画像は露 光をブラケット 撮影できるカメラで手持ち撮影でも作れます。下の画像は上下2つの画角で±2EVのブラケット撮影を行い、パノラマ作成ソフト Hugin(フリー)で合成したものです。太陽が大きく白つぶれてしまうところ、ブラケッ ト撮影でカバーされ、且つ他の被写体も 色と諧調を保っています。もちろんパノラマ写真を画角数×露出の数だけ撮影してHDRパノラマを作ることもできます。
 この手法はダイナミックレンジの拡大だけでなく、画角の拡大、平均処理による雑音の低減効果があり、うまく重なれば高品位な画像を得ること ができます(たいてい自動で重なるようになった)。
 表現すべきダイナミックレンジが広いとコントラストが低くなってしまうので、いたいていのHDRソフトは細部強調の機能により諧調の変化を 強調できます。Huginはパノラマ用ソフトなので、単に重ね合わせるだけですが、このほうが自然な画像となるので私は好きです。好みにより レタッチソフトでトーンカーブを調整します。
HDR
【解説】上段が上側の画角、中段が下側の画角で露光を3種類用意、下段が合成結果(実際は自動トリミングされる)。縦横に何 枚でも重ねられるので、標準ズームの広角でも180°以上のの画角を作ることもできる。風などで被写体が動くと一気に解像度が落ちます、この 辺りの処理はHDRソフ トの方が長けています(動体消去も可能)。

 広角側で撮影すれば手持ち撮影でも十分きれいに合成してくれます。レンズの主点(およそ絞りの辺り)の位置を変化させずにカメラの方向を変 えてやるのがコツ。各撮影は互いに重なり合う部分を作っておく必要があるので、例えば2倍の画素数を得るには3種類の方向で撮影する必要 があ る。


html5対応html5(W3C)
 このHPを開始した1999年頃はOSの前提もあってhtmlバージョン4にて日本語エンコードshift-JISを使っていました。途中 xmlへ 移行する運動が起きましたが静観している間にhtlm5の時代となったと判断したので、すべてのページ をhtml5・日本語エンコードUTF-8に変換し、且つハンドヘルド端末にも対応するようにしました。以下日本語用にメモしておきますので参考にしてく ださい。

1.テンプレートをUTF-8(BOM無し)で作成しておく(3項の要領で保存する)。
<!DOCTYPE html>
<html lang="ja">
  <head>
    <meta http-equiv="content-type" content="text/html; charset=UTF-8">
    <meta name="viewport" content="width=device-width, initial-scale=1">
  <!--解像度の高いスマートフォンではピクセル間隔が狭いため文字が小さくて読みずらくなる。
     表示幅をdevice-widthで取得した物理寸法にすることで読みにくさを改善します。-->

     <title>ここにタイトルを記入します</title>
    <meta name="Author" content="ここに作者名">
  </head>
  <body>
    <!--ここに元のhtmlのbodyを貼り付ける-->

  </body>
</html>

2.エディタで自分用に最適化したテンプレートを開きbodyに元のhtmlのbodyを張り付ける(<body>か ら</body>まで)。
多くのタグがhtml5でも続けて使用可能ですので、凝っていない私の場合は殆どそのまま使えました。

3.UTF-8エンコードで保存する(ただしBOM無しで)
エディタTeraPadの場合 は「UTF-8N」を選択します(単にUTF-8だとBOM付になる)。

4.スマートフォンなど小型の端末に対応する方法
レイアウトが画面サイズによって崩れるため、大手サイトのようにお金をかけられない個人の趣味では、凝った作りにせず単に文字や画像などを並 べてゆくだけが楽なようです。このHPは手を入れるのが面倒なので、かつてのスタイルのままとなっています。
画像と文字の大きさのバランスがPCと異なり字が小さくなるので、このHPではスタイルシトにwebkitを使った文字サイズ指定をしてい ます。興味のある方はサーチするかこのHPを解析してください、色んな配慮までできていないのが実情。
2019年ではHTML5で導入された要素とスタイルを追加してスマートフォン親和性を高めつつありますが、テーブルレイアウトをhtml5 要素に変換するのは大変であまり進んでいません。

外から見た日本
 以前から仕事上のお付き合いの中で雑談して印象のある事柄を記録しておきます。

(1)安全な場所
 日本人は平和ボケと言われるくらいお人好しでリスクに気づかないらしいです。

 ワシントンDCの安ホテルに泊まった時、首都なんだからちょっと地下鉄駅からホテルと反対方向の下町を散策してみようと二人で歩き始めた のですが、すぐに街灯が無くなり、わき道からきれいなお姉さんが声をかけてくれました。連れは楽しそうにしていて日本と同じ客引きだと思っていたよ うですが、もっと先の暗闇の中では大勢の人がうごめいていたのです。私はさっさと断り、明るい方向へ逃げ帰りました。
 この話を米国人にしたら「それはヤバかったぞ、悪い連中は街灯があってもわざと壊して暗くしてしまう。だから街なのに暗いところは100% 危ないんだ」と言いました。

 とあるアトランタの両側2車線の道路にある歩行者用信号は、オリンピック短距離選手でも渡れないほど青になっている時間が短い(車前提の社 会?)。

 そういえばオーストラリアへ家族旅行した時「だいたいどこも安全です」と言ってくれたのでツアーの切符を買うために公園を横切って近道した ら、そのあたりには原住民の人たちが集会をしていたように見えました。しかし私の目の前でつかみあっての喧嘩が始まりました。急いで通り過ぎ ると 後ろから私を呼んでいます、無視して急いていると「あいつは我々に礼もせず通って行った」などと怒っていました。
 公園でしょ、どうして通るのに仁義を切る必要があるの?という思いは原住民の厳しい実態を知ることで変化しました。彼らは英国等からの移民 や外来種のために追いやられ、職もなく、仕方なしに公園にいたのでしょう。外国人観光客という彼らからすればお金持ちが何しにやってきたんだ と思っているのでしょう。尚、職にありつけている原住民は笑顔で親切でした。

 ドイツでも裏通りで殴り合いの喧嘩をしていました。周りの人たちは親切に止めようとしていました(まあ、どこでもある事か)。

 米国の有名ホテルで日本人の団体と行動しましたが、ホテル従業員は「Hey man.」と何だか嫌そうな態度でした(まあどこの国でもロビーを占領されたら嫌でしょうね)。空港では隠語ばかり飛ばされたので「Pardon me」と聞いてあげたら必死になって「あっちの奴に言ってたんだ」とか弁解していた(日本人の「団体」はボケてるから完全にバカにされてま す、まあ服装・表情・仕草にもよるでしょうが)。

 私見ですが、お辞儀の習慣が無い人から見ると、日本人同士でもお辞儀をする際は早くペコペコやったらバカに見えると思います。まず相手の顔 をしっかり見て、笑顔でしっかり1回だけ会釈すると良いと思います。外国人とは緊張しているとカッコ悪いです、リラックスして笑顔で握手し ましょう。米人はガッツリ握ってきます。他の国の人は持つぐらいが多いので握り方を変えましょう。ヨーロッパの女性からは王女様のように下か ら手を支えるように求めて来られたので優しくしましょう。その国に慣れないとわからないですね。いつの間にか文化の話になってしまいました。

(2)移民
 日本へ今後入ってくる人たちについて「相手も日本人と同じように友好的で謙虚になってくれるなどと期待してはならない」と、あるユダヤ人が私に言いました。
 私はこの種の専門ではありませんが、世界中に散らばってもアイデンティティーを固持する民族は多い。中華街はどこの国でも同じようだし、知人のムスリムも都市では目立たないよう(地に伏せず)メッカに向かって祈っていると言っていた。フランスでは外国人に対してフランス人らしい生活態度を求めており、今までそうならなかったという事は外国人にとってタブーやそれに近いものを越えてまで他の民族と同化しなければならないのは困難なことなのだろう。
 話してくれたそのユダヤ人も民族問題の代表のようなものだから、敏感に最近の日本の危機を感じているのだろう。
 我が国の高齢化が進み外国人労働者、特に東南アジアからの留学生等が増え、借金返済の劣悪な環境から喪失してブローカーに雇われるようになる事件が問題視されています。そのうち彼らの人口が増え、子供を設けるようになると事態はフランスと同じようになってゆく事が予想できます。
 自国でできないから外国人に頼るというのは避けたいところです(人道的支援で受け入れている訳ではないのだから)。例えばもっと技術革新に力(予算)を注いで労働力をヒトからモノへシフトするとか、エネルギーや温暖化対策にも力を注ぐべきところだと思う(いっぱい力を注ぐべきと ころがあって大変なのだが)。そのうちヒトからAIへというSFが既に近未来にあるのも怖いようなワクワクするような時代になっている。


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