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  その他2  おいしい水 こ の穴は 生命の輝き

■  おいしい水
  丹沢の林道を歩いていると、車で入ることのできる「名水」 にはたいてい 水を汲みに来た人たちが列を作っ ています。時には、20リットルのタンクを10個も並べている人もいます(ちょっと迷惑。飲食店の人までいる)。湧き出したばかりの水には、売られている ミネ ラルウォーターにはない魅力が あるのでしょう。

 山では色んな水を飲みます。やはり湧き水が一番おいしいです(火山性の湧き水は飲めませんが)。それから沢を流れてい る水はプラ ンクトンのせいか少し苦いし、雪解け水は雪を食べたときのような味がします。雪を解かして作った水もそれに似ていますが、沸 騰させてガズを抜くと個性がな くなります。降り始めた雨の臭いが消えたころ、コッヘルを並べて採った雨水は新鮮な味がします。知人は水不足の時、ハイマツ についた朝露を吸ってのどを潤 したとか。

 さて、そんな贅沢な味のする水は無理としても、アルカリイオン生成器で十分おいしい水を作ることができます。私の住ん でい る神奈川県は比較的水に恵まれ ており、私はPETボトルに詰めて毎日飲んでいます。


※ご注意
沢の水を「おいしい」といって飲んでいる人がいます。 上流では確かにおいしい場合が多いのですが、できるだけ「湧き水」をお飲みください。

理由1=沢の水には大型動物のフンに含まれる寄生虫や、 フンに発生する食中毒の原因となる菌、流れに棲みついている生物や微生物が含まれるリスクがあります。

理由2=原発事故で土壌に固定された放射性Cs他が大雨などで流れ込み、体内被曝となるリスクが想定されます。  丹沢の空間線量は気にする程度でありませんが、放射性物質を体に取り込んだ場合、体内被曝はDNAの極近くで継続的に起こります。  コップに入れたくらいで濁りの程度はわかりません。浄水場ではこれを沈殿させています。

湧き水と沢の水の区別がつかない場合は、残念ですが危うきに近寄らずをお勧めします(緊急の場合は別です)。

丹沢の放 射線量年単位の変 化をモニタし ています。

■  この穴は何だ


 美しいお花畑。楽しく写真を撮って帰ったのですが、よ くみ ると草地に穴 が開いています。左はその拡大写真です。盗掘かもしれませ ん。もしそうなら、たいへん残念です。持ち帰ったとしても、高山植物はどれだけ生き延びられるのでしょうか。

 そういえばこんなこともありました。下山してバス停へ向かっていました。重い荷物を持って急ぐ人に追いついたので、 いっ しょに荷物をもったのですが、 「やたらと重いですね」と聞いた返事は「はい、山の石が入っているもので」でした!!
 国立公園の石や植物(枯れた物も)は持ち出しできません。私は片棒をかつがされてしまったのでした。

 山岳パトロールや指導員の皆さん、がんばって下さい。 


生 命の輝き
 けふから ぼくらは泣か ない
 きのふまでのように もう世界は
 うつくしくもなくなつたから ・・・・・・

 (吉本隆明「涙が涸れる」から)

病床で思ったおおげさなこと

疲労と熱がそうさせたのでしょうか、ただ耐えるだけの時間をもうろうとしていた中、
今よりも厳しい状況になった場合について考えてしまいました。

 もしそうなったなら、

 今まで手に入れてきたものは、もはや意味を失い、手放すしかなくなるのでしょう。
 そして、苦しみに耐えるだけの、希望の無い時間が続いてゆくのでしょうか。
 このような、存在や時間が、喪失と絶望へ変わっていく中をも、
 私は人として生きて行けるのでしょうか・・・


「高慢なくせに愚かで弱く、いずれは全てを手離して死すべき哀れな自分」 そう思ったとき、
この生の現実は、たった一つしかない自分自身への「いとおしさ」に気付かせてくれました。
 今まで正視できなかった、ちっぽけで欠点だらけの醜い自分。
 それが惨めであればあるほど、いぢらしい自分への愛惜を感じたのです。


気がつけば、目に見える世界は、うつくしくもなく、本質たり得ませんでした。(注1)
死の暗闇を通して見たとき、唯一本当に輝けるもの・・・ それは僕たちの生命なのです。
 そして誰の生命に対しても、併せ持つ死の運命に、私は哀れを感じたのでした。


この視点は、自分だけでなく、あらゆる生命を、
 いとおしみ、いつくしむ力へと昇華させてゆくのでした。
 そして僕たちは、生命の地平でつながりあい、新しい歴史を歩み出すのでしょう。
 光あるうちに。(注2)

注 1:世界は手段として大切ですが、それを目的としてしまっては生命を失うだろう。
注2:何か価値のある事に向かって励むのは、大切で重要なことです。しかし、それすら目的ではないと知りまし た。
   私の浅はかな目的であっても、そのために費やした過程、無駄に見える時間、それら全ての体験が、
   それとは別の、思いも寄らぬ高みに立たせてくれるのです。気づきは新しい体験の始まりに過ぎない。
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