大山(伯耆大山) 高い山の ページへ |
大山 |
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駐車場 から夏山登山道を登りました。 キャンプ場から既にブナ林の貴重な自然が広がっていました。 写真は高速道路からの大山南壁(別の年に撮影)。 |
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かつて(1950年頃から)の登山ブームで登山道から植物がなくなり浸食が進んだ反省から、本格
的な保護活動がきちんとされていました。 一 木一石運動が今でも続いており、山頂付近に草木を植えたりコモをかけて保護したり、同じ山域の石を山頂へ持ち上げるといった活動をし ておられます。 |
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六合目避難小屋 |
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六合目避難小屋 2019年に建て替え工事が完了しました。 |
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別山 積雪期 冬は氷雪をまとい、この尾根など幾つものバリエーションルートがあるそうだ。 (積雪期の写真には別山にクライマーの列、左右にも別ルートを登る人が見える)
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山の影 |
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貴重な高山植物の群落 |
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大
山キャラボク純林(特別天然記念物)の海
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自然保護のための木道が長く続きます。 |
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頂上避難小屋
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鳥取西部地震の翌年、2001年にそれとは知らず剣ヶ峰を
往復したとき は、「危ないので注意」するよう指導されていましたが、
今回(2008年)はロープの張り方や表現が「やめてください」と厳しくなっていました。 2014年には「植生保護のために立ち入らないでください」に変更されていました。これなら自分は力量があるから大丈夫と思っている人にも訴え かける力がある表現です。 前回(2001年)は楽に行けたので、今回(2008年)もあまり変わりない「だろう」と思ったのですが、間違いに気がついたのはずいぶん進ん だ所でした。 |
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(なお2019年に撮影した標識は有無を言わず「立ち入り禁止」となっていました。行かないよう
に しています。 以下も同様に2008年の記録へ追記しています) |
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三角点 |
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登山道(縦走路)が見えなくなっていました。 崩れて道が無くなったのと、草木が茂ってきたためでしょう。 草の根の下が崩れて宙に浮いている部分は、北側の薮へ巻いたりしながら進みました。 (下が無いのに根の上を歩いてすり抜けて落ちてしまう事故が考えられます。下に支持層があっても足元が一気に崩れたら何もできずに転落です。進む のは愚かでした。) |
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らくだの背 と思われます。 左右(南北)とも崩壊している部分が、ずいぶん(何倍にも)長くなっていました。 前回は両側の斜度が緩く、滑り落ちても何とか止まりそうでしたが、今回は転落するような箇所が多くなっています。上を通れそうな幅が前回は30cm以上はありました が20cm以下に狭くなっています。 アップダウンも回数が多くなっています(地形が変わった)。しっかりした岩なら良いのですが、ボロボロ崩れるので脇をトラバースすることも無理で直登するしかありません。 まるで別のところという印象です。 「来るんじゃなかった」と思いました。 ボロボロのため支点が無く、持参したロープを使おうにも使えない(以前は崩壊部の両側に木があったが、今回は全く見当たらない)。 もうこれは登山ではなくなっています。後でわかったのですが、その後に死亡事故が多発したので立入禁止になって行ったとか。 とはいえ、風も無いので、重心を落とし、落ちそうになったら腕でエッジにぶら下がる戦略で進みました。 (愚かでしたね。落ちる時の姿勢がのけぞったりしていたら手が届かないでしょう。まだ残る救いとしては急峻さが最終形に至ってないと思われる点で しょう。 遭難には疲れで楽そうな方の選択、焦りによる判断の過ち、正常性バイアスなどが重なっているそうで、これは該当していますね。 この後にも地震があったので更に崩壊が進んでいるはずです。) |
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(1992年5月の、らくだの背 と思われる辺りの銀塩写真を掲載します。上
の写真とは違う位置と向きですが、この頃は危険視まではされておらず、注意しながら多くの人が歩いていました。 注目すべき点として、崩壊現象自体は昔から起こっていたという点でしょう。 考えてみれば噴火や隆起で山ができれば、岩石は内部に加わる力で割れ目ができ、そこから水による化学変化や溶出が起こり、温度変化で表面ほど細 かく砕かれていきます。植物の繁茂によって侵食が抑えられますが、今回は地震によって至る所で崩壊が強く加速され状況が大きく変化したのでしょ う。 写真にも写っている様に片側が崩壊したところは多くあり、崩壊が両側から進むと尾根は幅が痩せて急峻となり、更に侵食されると厚みが0になる= 高さを失って行くはずです。後の4枚目にもその結果でできた地形が出てくるのですが、当時は程度が違いすぎて理解できませんでした。) |
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弥山から見えることがわかりました(2014年)。三角な部分や薄い部分ばかりです。 同じようなアングルから中部地震後の2019年。浸食されたのでしょう、少し丸みを帯びています。 西穂~奥穂、大キレット、八本歯、剱岳や戸隠の刃渡りとか、岩がしっかりしているので技術が使えますが、こちらはボロボロです、愚かなだけなので 行かないようにしています。 |
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剣ヶ峰 東の天狗ヶ峰下の1636ピークで会った地元の人から、ここを季節によらず毎日のように縦 走している有名な女性がいて、時々会うと聞きました。登攀もしておられるようです。 (古い写真と比べるとコンクリートのひび割れが進んでいます) |
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一ノ沢、三ノ沢から剣ヶ峰へ登るルートがあると聞きましたが、こんな崩れやすい所を登れるものな
のでしょうか? (いいえ、ここはルートではありません。両側から侵食されると火山性に限らず礫や泥に近い地質はこのような形になりながら小さく削られて行くとい う事でしょう。他の痩せ尾根も推して知るべきでしょう) 写真の様な形のところは北アルプスにもありますが、スケールが違うし、こちらの岩質はボロボロ。 (はい、スケールも岩質も違います。ありのままを理解しましょう) |
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天狗ヶ峰までも気をつけて縦走し、象ヶ鼻方面へ下りまし
た。 写真はかなり珍しいお花だそうです。 (2008年はこのようにまだ気楽に、特筆する事もなく歩けたという事です。 その後2016年にも地震があり、変化は単調ではなかったものと推察します) |
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(天狗ヶ峰からユートピア方面北へは峰直下のところが特に危険だそうです。
1636Pも含めて立ち入り禁止になっています。 写真のような侵食(手前の凸凹:以前からもっと離れて存在した)が東へ迫り、東壁の崩壊と挟まれて登山道の両側が侵食されています。ラクダの背と 同じ侵食パターンに加えて平均斜度を持っています。昔は登山道と草付きがあったのですが、後に侵食され道が無くなってしまったのです。まだ特に危 険な所の長さが短いですが、両側から侵食され危険個所は多くなって行くでしょう。 よく見ると植物の塊が凹凸の上に乗っかっている所があります。昔の斜面の一部なのでしょう(中央少し左)。 この調子で行くと数十年後には両側から侵食されている部分の幅が更に薄くなり高さも失って、よりノコギリ状になって行くと予想します。剣ヶ峰と 天狗ヶ峰から、弥山・1636P・ひょっとして槍ヶ峰への尾根が切断されてゆく方向だと思います。) |
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ユー
トピア避難小屋
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三鈷峰(右上)へピストン。 谷底にガスが出ています、ひょっとすると・・・ |
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期待したとおり、ブロッケン現象が
見られました。
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三鈷峰にて | |
ユートピア下部まで戻り、下山。 大きなケルンがあった。 (勝間ケルンといいます) |
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中宝珠と砂すべりのルートに分かれます。 今回は砂すべりを下りました。ここの名物かと思われます。 (沢登りのアプローチ用に運動靴を使っていましたが、土ほこりの粒子は尖っていて繊維をミクロなレベルで切断するので、すぐに運動靴が使えなく なっ ています。ここを行くときも同様だと思います。登山靴推奨。) 地元の人からは、もっと上のあたりから2本の砂すべりが始まっている所を教えてもらいました。 (現在では落石も多くなり通行しないことになっています、楽に降りられたのですが) |
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大神山神社への下りに巨大な杉が林立していました。 昼前には雷が鳴って、雨が降り出しました。 「昔は行けた」という記憶で行ってしまいましたが、地震以来、急速に変化しており、現場を良く見て思い込みを払しょくする必要を感じました。 (もっと重要なのはなぜ引き返さなかったのか? 崩壊個所が本人にとっていきなりだったのはわかるが事前情報入手していれば態度も変わっていたの では? そもそも看板があったはず) |
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(三ノ沢から槍ヶ峰、天狗ヶ峰へ行ってきました。非常にザレており、水を含むと崩れやすいルートでした。素晴らしい場所ですが
お勧めしませんし、人による落石も浴びやすいです。私も来ている人全員ヘルメットを着用していました) |
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1992年5月
の写真を参考に掲載します(弥山から天狗ヶ峰へ縦走後に剣ヶ峰方面を撮影)。この頃は向こうの剣ヶ峰にも登山道から登ってきている人たちが写っています。 現在とぱっと見の変化は色合い程度でしょうが、人間が登山できるかには数10cm級の変化でも影響する場合があり、よく写真を読めば片側崩壊の部 分が当時から非常に多く、恐いから避けることで登山道の位置も変化してきたのでしょう。ラクダの背も人が歩くことで平らにされていたのでしょう。 ところが地震による侵食加速で特に両側から侵食される部分の道が失われ、片側から侵食される部分も思わぬ事故を起こすようになった。変化は常に起 こるので、変化に追随して対応し続けるしかないという事だと思います。当たり前の事なのに、遠くに住んでいて5年に一度くらいしか来ない私なぞ、 情報に付いていけなかった訳です。 |
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1980年夏季
のキリン峠です(人物を消しています)。この頃はハイキング装備で鳥越峠から縦走できるルートでした。この頃から既に避雷針が曲がっていたのですね。現在は下にぶら下げら
れている様です。 烏ヶ山への標識も見られるので、そちらも通常装備で行けたのでしょうか、崩れる前が羨ましい。 現在は標識が撤去されて支柱だけとなり、キリンポール・銀ポールなどと呼ばれています。ポールは上下2か所ある。 |
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キリン峠に残されたポール。 行ってはいませんが尾根のキリン沢の辺り南側が溝状に崩壊していて滑落するような箇所があるそうです。 踏み跡は風雨や雪で消えるのでルート選定が難しいそうです。 |
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烏ヶ山 |
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同日の昼、鏡ヶ成から烏ヶ山を目指しま
した(2008年)。 こちらも山頂部が崩れて登山禁止となっていたので下山して帰ろうとしていたら、地元らしい人との会話で、ずいぶん安定してきて おり、 解禁間近だろうとの情報。 |
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登山
道の入り口が薮でしたが、 最初は道が見える部分が多かったので進んでいきました。
しかし、すぐに薮がひどくなり、登山道が見えません。どこまで登っても同じで、足で踏み跡を確認するか、薮の下に入って目 で確認するかです。 写真は標高1200m付近で振り向いたところ。全く登山道が見えません。 真夏の昼、南面の薮の中で、風が無く、汗だくとなりました。 早く稜線へ出て風が吹くことを期待して急いだためでもありました。 |
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大きな石。藪の下を進んでいました。 このあたりで熱中症が出て、顔や手がしびれてきました。 水を飲んだりペースを落としたりしても藪の中では風が無く改善しません。 万一、意識レベルが低くなると、帰りの薮で道を迷ったり転倒したりする恐れがあるので進むのをやめ、完全に止まって休みましたが、風が無 く、体温が下がりません。水を体にかけて冷やそうとしましたが、湿度が高く気化しないので冷えません。 大山の残りなので十分の量がなく、補充しなかった 事を反省。しかも運動を止めると血行が悪くなり、胸や腹の皮膚までしびれてきたので、下山を決意。 頂上まで水平距離260m地点(標高1330m)ジャンクション手前で引き返しました。鏡ヶ成キャンプ場の水場で体を冷やし、冷たい水を飲むとすぐに回復しました。運 動中は血行と換気が良いので気づかず、止まると 血行が悪く熱中症の回復に時間がかかるので、早めに気づく事が重要だと感じました。 関東からなかなか来れないからとは言え、真夏の烏ヶ山を甘く見すぎていました。 |
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(後でちゃんと登ってきました。Suntoryさんが山麓に天然水の採水場を建設し、歌手の宇多
田さんが登場するCMをしたため大人気となっていました。 おかげで休む場所もないほど賑わっていました。 地震が2回あったので立入禁止になったり解禁だとかが頻繁に変化したのでしょう。自分にはどうなっているのかさっぱりわかりませんでした。) |